① Cheat or Treat

宇宙データバンクからの情報を読み取ってもらうリーディングを受けた方が、こんな事を言っていました。
「答えがわかっていたら、修行にならないのではないか」
批判ではなく、シンプルな疑問です。
さて、「魂は意思や方向性、使命を持って生まれる」、「魂は望んで、選んで生まれてきている」「そしてその記憶をあえて消して生まれてくるからこそ、経験することに意味がある」
これらは私が過去30年間に読み、共鳴した書籍、「生きがいの創造」、「神との対話」、「地球大暴露」にも書かれています。
書籍や概念を知っている方や、共感され、そう信じて生きている人も多くいるかと。
私も人生のほとんど「私の今世での使命は何なのか」を探し続けてきました。なので、冒頭の意見もわからなくもない。私は人生を修行だとは思っていませんが、使命を持ち、この制限のある地球上での経験を体験するという経過にある苦しみ、悩み、葛藤を加味すると、それを修行と捉える人がいても不思議ではないです。
そして、人生で起こる事、出会う人達とそのCauseを知っていると、「なんでこの経験してるの?」、「これは何のため?」、「この人とのご縁は何?」この謎解き部分を飛ばせる。自由意志や選択の自由は残っているけど、ゲームの構造を知っている状態になります。
じゃあ、攻略法がわかっているのなら、人生で起こる出来事、出会う人やその理由、Causeがわかっているのなら、それは一種のCheat(ずる)にならないか、人生がEasy Gameになってしまわないか、と。
で、ここで考えてみる。
「ここからはもうEasy gameだよ」ってこと?
頑張って生きてきたからご褒美? Treat?
敢えてEasy gameになってる? 時代的に? 人生のフェーズ的に?
今はCauseを知った上で生きるフェーズに移ったってこと?
で、さらに考えてみる。(考え過ぎなんよ)
Causeを知ってもEasyにはならないかも。だって「それらを信じて、今この場面でその選択が出来るか」は別問題だから。
頭では、「これは大丈夫な流れだ」、「私はこっちなんだ」と理解していても、身体は怖がるし、感情は揺れる。
だからChallengeが消えるのではなく、Challengeの種類が変わる。
「わからない中で選ぶ」から「わかっている」と思っていることを信じて選べるか 。
②につづく





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