「まぁ、でも彩さんだから」
5 日前
読了時間: 2分

私の発言は、時にかなりストレートに、きつく捉えられかねないという自負があります。
悪気はないんだけどね、ごめんね、みんな。
自分でもそんなに気にしてるわけではないが、ある時、私の雑草友達に、
「私のこういうところ、どう思う?」「私言い方きついことある? 傷ついたことある?」と尋ねてみた。
彼女は、「まぁ、でも彩さんだから」と答えた。
以前にも彼女の口からこれを聞いたことがある。
ねぇ、これ凄くないですか。
私が私であることが許される、ジャッジされないこの自由を彼女は私に与えてくれるのだ。
フリーパスみたいな。
Hooray!!!
「彩さんはこういう人」
「彩さんは素晴らしい」
「そういうところが好き」ですらない
私を枠にはめない。(え?てか私に興味ない?)
私が何をしても全て肯定するってわけじゃないけど、
「まぁ、彩さんだから」以上!
好かれることより、「素晴らしい人」と認定されることより、「あなたはあなた」として、評価の枠そのものを外してもらうことのほうが、もしかしたらずっと自由なのかもしれない。
これって、相手を理解したから受け入れられるんじゃなくて、理解しきれない部分があっても、自分の信念と異なる部分があっても、その人を一つの評価に固定しない。
「この人は意地悪な人」
「この人は優しい人」
「この人はこういう人」
と思い込んだ瞬間、その人を自分の認識の中の枠に閉じ込める。
その枠から離れた行動をされたとき、また心が揺れる、揺さぶられる。
でも、「まぁ、この人だから」でいられると、相手も自分も自由。
決めつけない、とか、受け入れる、とか、尊重する、とかですらない。
「ただその人がその人としている」だけ。
All that is.





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