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「まぁ、でも彩さんだから」
私の発言は、時にかなりストレートに、きつく捉えられかねないという自負があります。 悪気はないんだけどね、ごめんね、みんな。 自分でもそんなに気にしてるわけではないが、ある時、私の雑草友達に、 「私のこういうところ、どう思う?」「私言い方きついことある? 傷ついたことある?」と尋ねてみた。 彼女は、「まぁ、でも彩さんだから」と答えた。 以前にも彼女の口からこれを聞いたことがある。 ねぇ、これ凄くないですか。 私が私であることが許される、ジャッジされないこの自由を彼女は私に与えてくれるのだ。 フリーパスみたいな。 Hooray!!! 「彩さんはこういう人」 「彩さんは素晴らしい」 「そういうところが好き」ですらない 私を枠にはめない。(え?てか私に興味ない?) 私が何をしても全て肯定するってわけじゃないけど、 「まぁ、彩さんだから」以上! 好かれることより、「素晴らしい人」と認定されることより、「あなたはあなた」として、評価の枠そのものを外してもらうことのほうが、もしかしたらずっと自由なのかもしれない。 これって、相手を理解したから受け入れられるんじ
aya d
5 日前


菩薩美容師
私が10年近く通う美容師さん。 彼は、海外ブランドの国内のコレクションショーのヘアメイクでも仕事を任され、第一線で活躍している。 決して驕らず、謙虚で、とても素敵なハートを持っている。 その年上の男性美容師さんから聞いた、先輩とのエピソード。 何十年来の仲の私の美容師さんとその先輩。 普段の関係は良好で、居候していた時期もあったほどの仲だそう。 若い頃、その先輩からよく意地悪をされたらしい。 「明日〇〇持ってきて」 「明日の打ち合わせの場所は〇〇で」 「明日の予定の時間は〇時ね」 〇〇がガセだったという。 わざと困らせるような意地悪を毎回されていたらしい。悪戯ではなく、意地悪。意図はわからない でも、私の美容師さんは、その先輩を嫌いになったり、関係を切ったりしなかった。逃げもしないし、反論もしない、言いつけたりもしない。 淡々と自分なりの解決法を考え、荷物を増やしたり、知恵を使って仕事をこなし続けた。 もう10年以上その先輩と会っていなかったが、先日、関西で海外ブランドのショーのヘアメイクを任された先輩が、チームメンバーとして私の美容師さんに
aya d
5 日前


人と時間に呑まれる
人と時間、状況に呑まれるという経験をしたことはありますか。 自分で選択して自分をその場所、人、環境の中に置いたのに、雰囲気や状況に自分の選択や時間のコントロールを奪われた状況。 私、まぁまぁやってたかも。 その環境に自分を置くまでは直感的に即決できるんだけど、置かれたら、そこの環境とか時間に吞み込まれるってやつ。 選択が最善だったかどうかは、後々俯瞰することによって何かしら気づきが生まれているのであれば、それはそれで良いのかもしれない。でも、選択時、あるいは選択するときの余裕やタイミングを失う感覚、わかりますか? 楽しいが全てではない。 流れに乗りたいし、流れに任せるのも大切だと思う。 でも流れに任せる選択を自分がする、しているという自覚は持っていたい。 私は自主性とか自由意志での選択が好きなんだな。 自分の人生の舵取りをしたい自分の鼻の主人でありたい。 自分の鼻の主人でありたい。
aya d
10月22日


「人と交わる」の大切さ
一人で気づきを得るのは時に難しい。 思い込みやブロックが障害になり、俯瞰して見れないから。 同じ場所でグルグルまわっちゃう。 新しい視点をもらう、知らない経験からの意見をもらう、というのはとても大切だと思う。 文化、言語、宗教、歴史、地理的条件の異なる背景からの意見も貴重だと思う。 どれほど自分の世界が狭かったかを思い知らされる。常識が覆される この風の時代、なんなら三次元的だけでなく、高次元的に見た意見も取り入れたいかもしれない。 本や映画、音楽、芸術もそうかも知れないけど、その気づきが生きたコミュニケーションの中からだと、特に良いと思う。 なぜなら、その新しい視点をもらった時や気づきの瞬間の感情、心の動き、自分の感覚も見ておきたいから。 それも大きな手掛かりになる。 私が30代にバイブル的に持っていた書籍『神との対話』を思い出す。 神(宇宙)はもともと一つの愛の存在だった。 神は自分が愛の存在だと知っていたが、なにぶん一つだと、それを体感として感じることができなかった。 愛を体験するには、自分と他者という関係性が必要だった。なので、愛を経験す
aya d
10月21日


I AM the bluebird.
私の人生の中で何度か出てくるキーワードの一つ「幸せの青い鳥」。 幸せの青い鳥を探して旅していたが、それは自分達の傍にいた、っていう童話。 でも、アーヤ、気付いたかも。 自分の傍でも、自分の中でもなくて、自分自身が青い鳥だった。 ワクワクする出会い、楽しい時間、素敵な人達。 でも楽しかったのは「私」。 楽しんだのは「私」。 私を楽しませたのは「私」。 自家発電スタイル。 その状況、環境、人、時間に感謝をしない、っていう話じゃなくって、自分で自分を楽しませる、っていう話でもない。 自分の中に幸せを探すんじゃなくて、自分がそれなんだと。 自分という存在が楽しんでいるから、その場が楽しいんだと。 "I AM the bluebird." "I AM the happiness." なる、存在する、それである。 そしたら自由だった、そんな感じ。
aya d
10月20日


蜘蛛のジョセフィーヌ
我が家の家蜘蛛、ジョセフィーヌ。 私が、考え込んでいたり、イラついている時に限って、ひょっこり現れる。 直径1㎝ほどの、ちょっと丸っこい、もこもこな体で、そばの壁をぎこちなく歩く。 「久しぶり、Josephine.」と、声をかけると、 「えっ」と、ちょっと焦った感じで、ちょっぴり止まる。 私をほっこりさせて、緩ませる。 内向きでぐるぐる高速回転していた頭の中と意識が、ちょっと外にずれる。 送られてきてるの、どっかから、と思う。 “See YA, Josephine.”
aya d
10月19日


I AM the bluebird.(つづき、体育大会編)
娘の体育大会に行ってきた。 中学校の体育大会は、小学校の運動会とは違いエンタメ感は少ない授業の延長のようで、生徒たちが自主性を持って、協力し、取り組み、楽しむのを学校全体と親で見守る感じ。 10年来のママ友という名の友がいる。 彼女の家族は保育所の頃から家族総動員で保育所・学校などのイベントに精力的に出席する。彼女の子供と私の娘が同級生で、毎年イベントでは顔を合わせる。 いつも開場時間より早く着き、並び、子供達の姿を観覧しやすい場所で、積極的に子供の応援をする。 自分の子供だけでなく、他の子供達も同じように応援をする。 私は、毎度ほぼ開場ギリギリに到着し、見れる範囲で、一生懸命応援はするが、同じような熱量は持っていなかったように思う。 今回の体育大会でも、私が会場に着いた時には彼女は既に列の前の方にいて、挨拶をして、「また後でね」と別れた。 子供達の活躍が見えやすい場所から、彼女とその家族は観覧し、スポーツ全般が苦手な、あまり体育大会自体に乗り気でない娘に対しても、大きな声で愛情ある声掛けと、ガッツポーズで応援をしてくれるのを見て、微笑ましく、有
aya d
10月18日


信念と拘りは紙一重
『ダウンタイム』というNetflixのシリーズを流行りに乗っかって視聴した。 感想:信念と拘りは紙一重 Bashar兄さんは言います。 "Investigate your Belief System." Belief Systemとは「自分が世界をどう捉えているか、その土台となる考え方」、「自分の中で何かを判断するときのベースになる前提や観念のようなもの」。 つまり、自分のBelief Systemを、定期的に、あるいは自分の感情や心の動きに違和感を感じた時に、見直してみなさい、ってことなんだと思う。 「信念」は、「私はこうありたい」、「これを大切にしたい」という自分の中にある核や軸のようなもの。自分が向かいたい方向性を示す。 信念は人を強くする。 「拘り」は、その信念を具体的な選択や形として、現実の世界で表す枝のようなもの。服、香り、髪型、選択、生き方、手順など。 拘りは自分を表す魅力にもなるが、自分を縛る呪縛にもなる、と思う。 自分の信念、内側にあるものを表す表現としての「拘り」。 これらのベースは、ワクワク、愛、情熱、楽しみ(Excitem
aya d
10月17日


野のユリ
私は野のユリでいたい。 多種多様な草木が混在する野原に自分の根を張り、過酷な環境に適応しながらも、自分そのものを失わない軸と生命力を持ち、それでいて華やか。 ユリがユリであるだけで、存在感を持ち、目を引く。 周りや環境に合わせて自分を変えるのではない。自分の在り方を持ったまま、その環境で生きる。 私を「隣に生えている雑草のよう」と例えた愛しい“雑草友”がいる。 「誰が雑草やねん、失敬な」と思ったが、雑草が大好きな彼女にとっては、最高の褒め言葉らしい。 有難い。 私の想像では、逞しく、地に足がつき、根を張り、健気に人知れず咲き、周りをほっこりさせる、そんな印象。 (健気でもほっこりタイプでもないと思うが) 今さらその洞察力に気づく。(「雑草」にショックを受けて、見過ごしてた) 雑草的な生命力とワイルドさに、ユリの華やかさと存在感。 モザイクタイプの私にも合ってるわ。 自分の場所で咲きながら、隣にも別の花が咲いてていいし、混在しててもいい。 悪いけど、雑草じゃなくて「野のユリ」でいくわ。
aya d
10月16日


ラッパー推しの風紀委員
ラッパー好きで風紀委員の娘。 ラッパーと風紀委員、一見、相反する対極の存在のように見える。 かなりコアなUSラップが好きで、4-letter-wordsが飛び交うラップのMVを夢中で見て、聴いている。 他方で、道徳心や倫理観が高く、ルールを重んじる。そこから外れた人を注意し、規制するのが好き。 風紀委員は趣味の一つ。 と同時に、一見「理不尽」な校則に反抗心を抱き、自由に髪をグリーンに染めたいと強く思っている。 彼女の他人を規制したい、コントロールしたい欲求はどこからくるのだろう。 それは、自分自身が抱える内側の矛盾やジレンマからくる怒りの裏返しなのか、とも思ったりする。内側の反逆的な、反抗的な、世間に物言うぜ的な、ラッパーな彼女が暴れているのかとも思ったりする。 心に矛盾を抱えた時に感じる行き場のない怒りが、人にはあるのかもしれない。 コントロールできない自分の心に苛立ち、相反する感情にフラストレーションを抱え、それを近しい誰かに気づかずに投影し、あたかもその人への怒りのように感じているのかもしれない。 他人に言っていることは
aya d
10月15日


「北風と太陽」と反射の統合ワーク
「北風と太陽」は、固める反射の統合ワークについての寓話だと思う。(勝手に) アプローチがとてもよく似ている。 身体が固まって緊張状態にあるとき、外的アプローチで物理的に骨格や筋肉を緩めたり、動かしたりしようとしても、それを身体が受け入れられないことがある。また、変化が定着しにくいことがある。 固める反射が残っていると、身体は緊張した状態で「警戒モード」にあるから、外からの刺激を「危険」と認識する。緩めるための刺激自体を警戒対象として受け取ると、身体はさらに固める、呼吸が浅くなる、筋肉がもっと緊張する、筋肉・骨格が動きにくくなる。 単純に筋肉が固いように見えても、その身体がどうしてそこまで固くなったのかをみると、固める反射が残っているんだろう、と思ったりする。 固める反射の統合ワークは、物理的な外的アプローチや力で身体を変えようとしない。 身体への優しい刺激を通して、神経系に新しい経験を与え、心と身体が「安心」「安全」を感じられる状態になる。 不要なタイミングでの「警戒モード」が解除されていく。 「北風と太陽」 北風が吹けば、旅人は自分を守ろうとコ
aya d
10月14日


④ 自己創造
「感情」 目に見えない、逃れることのできない、コントロールできない、様々な感情とともに、物質的な世界で人と関わり、現実の中で心と身体を持って生きる。 「感覚」 自分の内側で起きている感覚、目に留まった物、懐かしい香り、心地よい音や気になる言葉、閃きに気づいてみる。 「選択」 現実の怖さや感情の揺れを感じながら、自分の内なる声を感じ、そして、感じ取れなくても、答えがわからなくても、自分で選べる自分を信じて、それに賭けて、それを自分で選択する。 委ねるのではなく、自分で選ぶ。 「行動」 選択した自分として生き始める。 肉体を使って、選択を現実化する。 自分の意志と決意を、現実の中で生きる。 自分で感じ、自分で考え、自分で選び、自分の身体を使って行動する。 感覚が正しいかどうか、感情がポジティブか、選択が正解かどうかではなく、自分に忠実かどうか、自分を裏切っていないか、ごまかしていないか、言い訳していないか。 感情を抱くのが心を持った面白さ、感覚を感じるのが肉体を持った喜び、自由意志で自分で選ぶのが、この地球上で生きる醍醐味、その上で行動するのが、
aya d
10月13日


Love or Fear
人は何かを選択するとき、何を根拠にその選択をしているのか。 感覚なのか、感情なのか。 その感情は、恐れや恐怖なのか、愛やワクワクなのか。 Basharはこう言う。 "Act on your highest excitement, passion, joy, and love." 「最も心が躍ること、情熱、楽しみ、愛に従って行動しなさい。」 常に目の前にワクワクや楽しみ、情熱が見えるわけではない。 ワクワクを感じられればいいけど、見当たらなくても、日々選択し続け、生きている。 18歳で日本を出て、海外留学した私。 「凄いね」、「勇気があるね」、「行動力があるね」って言われるけど、日本に残り続ける選択のほうが、私にはよっぽど勇気が必要だった。 私は、目の前のワクワク(excitement)ではなく、このまま日本に居たら壊れてしまうことへの恐れ(fear)から、海外へ出た。 多少の勇気と決意、謙虚なほどのワクワクを胸に踏み出した。 自分を裏切らない選択をする。大きな大事な一歩。 ワクワクがなくても、恐れがあってもいい。迷ってもいい。...
aya d
10月12日


勇気
「勇気のある人になりたいです。」 小学校の卒業式で、壇上の娘が体育館中の人に聞こえる声ではっきりと言った。 勇気ってなあに。 勇気(ゆうき):恐れずに物事に立ち向かう、強い心。また、困難や危険を恐れずに行動すること。 子供の頃は初めてが多いし、大人に比べて小さいし、出来ないことも多いから、勇気を使う機会が多かった。 大人になると、勇気という言葉を使うことも、勇気を使うことも少なくなった気がする。 最後に使ったのはいつだろう。 勇気の代わりに、責任感や義務感からする行動はあるけど、勇気をもって、勇気を出して行動すること、何か思いつく? 本当は、内側に強い気持ちがあるのを知っているけど、何かを理由に、行動しないことにしているのなら、これ、勇気ではないかもしれないけど、ものすごい力使ってるよね。 真剣に自分に向き合うのは、勇気がいる。 見たくない自分を見なければいけないから。 見えないものを自分の感覚や思いに賭けて選択するのは、勇気がいる。 失敗するかもしれないから。 本当の自分に忠実にいる。 それが勇気かもしれない。 強い心、持ってるでしょう。
aya d
10月11日


③ ...え、どういうこと?
攻略本は持ってる、Causeもわかってる。 でも、現実世界で目の前にその場面が来たら身体は怖がる。 感情は揺れる。 家族、関わる人達がいる。 物質的な制限がある 確信ではない、見えないものを選択する勇気、その選択。 ~再放送~ ちなみに、それを信じて選ぶことが正解という話ではなく、そもそもそれが正解という話でもない。 全ては、自由意志のもとの選択だし、正解も不正解もないのだから。 ~~~~~ 自分の中で100%信じて選択するのと、「私はこれを信じる」と選択するのは違う。 そしてこの「100%」は確信の強さではなく、自分の選択へのコミットメントに近い気がする。 そもそも見えるものは信じる必要がない、そこにあるから。 見えないからこそ「信じる」という行為や必要性が生まれる。 私たちは常に見えないものを相手にして生きている。 人を信じたくても、その人の心は見えない、明日、その人がどうするかも見えない。 だからその人を信じるという行為は、その人を信じるという選択をする、その人を信じるのが、自分にとってfeels rightという、自分の感覚に賭ける
aya d
10月10日


②' パンケーキかパフェか(実用編)
広島の骨格ベクトレ仲間にえりちゃんという友人がいます。 彼女は、物事やその構造・仕組みを映像的に見て理解するタイプです。 例えば、彼女がカフェに入って何食べようかな~ってなった時に、パンケーキとパフェで悩んだとします。 彼女は、それぞれを食べている自分を想像する。 そして、より嬉しそうに食べている自分が見える方を注文するそうです。 これが自分の感覚を信じて選ぶって事かな、と思います。 これ、とても使えるんですよ。 実用的だし、難しいこと考えなくていいから。 以下、ナラティブです。 実はこれって、未来の自分(パラレルワールドの自分)に周波数を合わせて、その感覚を受け取って選択して、そのパラレルワールドに移動する、っていう高度なことしてるんだけど、彼女のボディにはこの機能が標準仕様で装備されているようで、自然にしているそうです。 実際には、全員のボディに標準装備されているんだけど、機能が多すぎて使いこなせないっていう、昨今の自動車事情みたいな状況なのかな、とも思ったり。 でも肝は、その「感覚」がどれだけ純粋? で研ぎ澄まされているか。 そしてその感覚
aya d
10月9日


② 「信じる」という選択
「わかっている」と思っていることを信じて選べるか。 ちなみに、それを信じて選ぶことが正解という話ではない。 そもそもそれが正解という話でもない。 全ては、自由意志のもとの選択だし、正解も不正解もないのだから。 見えるものについては少なくとも、「わかっている」と認識しいてる。 「わかっている」って何だろう。 未来については、そもそも確信はないし、見えないものについても確信できない。 だからここで言う「わかっている」というのは、あくまでも「私が信じると決めたこと」。 つまり、確信ではないが、「私」を頼りに信じると選択したこと。 宇宙データバンクからの情報のリーディングを信じる選択。 不確かなものを信じる選択。 なぜ信じる選択をするのか。 絶望的だから? 開き直り? おそらくBecause it feels right.(なんとなくしっくりくるから) Because it makes sense to me.((自分にとって)納得できるものだから) 急にここでSenseやFeeling(感覚)が出てくるじゃん。 急にここで自分軸が出てくるじゃん。 「私
aya d
10月8日


① Cheat or Treat
宇宙データバンクからの情報を読み取ってもらうリーディングを受けた方が、こんな事を言っていました。 「答えがわかっていたら、修行にならないのではないか」 批判ではなく、シンプルな疑問です。 さて、「魂は意思や方向性、使命を持って生まれる」、「魂は望んで、選んで生まれてきている」「そしてその記憶をあえて消して生まれてくるからこそ、経験することに意味がある」 これらは私が過去30年間に読み、共鳴した書籍、「生きがいの創造」、「神との対話」、「地球大暴露」にも書かれています。 書籍や概念を知っている方や、共感され、そう信じて生きている人も多くいるかと。 私も人生のほとんど「私の今世での使命は何なのか」を探し続けてきました。なので、冒頭の意見もわからなくもない。私は人生を修行だとは思っていませんが、使命を持ち、この制限のある地球上での経験を体験するという経過にある苦しみ、悩み、葛藤を加味すると、それを修行と捉える人がいても不思議ではないです。 そして、人生で起こる事、出会う人達とそのCauseを知っていると、「なんでこの経験してるの?」、「これは何のため
aya d
10月7日


おみくじ(神と紙つづき)
おみくじを引かない私。 神社にもあまり行かない私。 偶然ひょんなことから伺ったお宅で、沢山のおみくじの中から、ご厚意に甘えて一つ開いてみる。 「神と紙」を頭の中でガシガシやっていたから、完全にリンクしたのよ。 おみくじの裏に「神の教」とあった。 「影がかがみか、鏡がかげか、拝む心が神ごころ」 「拝む姿が、拝む心が、神の姿、神の心である」 こうやってみると、それらしい教えや言葉は、色んな所に散りばめられていて、自分の中で悩んで、考えて、たどり着いたときに、やっとそんな教えが自分の中で響くのね。 "Aligned with Higher Self"って言葉思い出した。
aya d
10月6日


神と紙
昔から「宗教」にとても興味がありました。 「宗教」というより、「信仰心」、「人はなぜ信仰するのか」、その心の構造、宗教・信仰に求めるものに興味がありました。 それは時折、盲目的で、熱狂的で周囲が立ち入れないエネルギーを感じます。 そして「祈り」に強力なパワーがあるのも知っています。 「祈り」と「委ねる」はセットだと思っています。 「祈り」は「願い」とは違い、何かを願って都合付けてもらう事ではなく、「祈り」は、自分の望みと信頼を示し「委ねる」こと、「委ねる選択をする」ことだと思っています。 では、なぜ人は神を信じるのか。 紙を買うのとは違う。 紙なら、値段、クオリティ、サイズ、実物、レビューなど、外側に判断材料がある。 でも、神は物質としては確認できない。(レヴューはあるかも) じゃあ、見えないものを信じるという選択をするために、何を判断材料にするのか。 それは、自分の感覚、心の声、内側の反応 出たーーーーーーーーー!!! 感覚!! 心!! 内側!! 誰かから無理やり信じろと押し付けられても、心が動かなければ、そこに信仰はない。...
aya d
10月5日
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