“Perfect Days”(隣の平山さん)

頭の中は常にフル稼働の私でした。
働く母親として、常にマルチタスクでした。
今この瞬間を感じる余裕もなく、間に合わない、終えられない緊迫感の中で日々追われるように過ごしてきました。
頭が思考で忙しすぎて、感じる余白がない。常に先回りして考えすぎて、目の前の今を慈しめない。
今この瞬間を感じることが生きるということなのは、頭ではわかっているのに。
でも、知っているのと、できるのとでは異なります。
私の場合、反射の統合ワークで心身の土台が少しずつ整ってきたことで、以前よりも「今この瞬間」を感じられるようになってきました。
先月、食中毒で1週間ほど身体も思考も強制停止になっていました。
点滴も2回ほど。
都合よく、夏休暇中の主人に病院に連れて行ってもらえましたが、まぁ、気が利かない。
マジかよ…
吐き気で身体が半分に折れている私が、彼にマスクをつけるよう指示しないといけない。
診察ファイルも持ってくれない。
彼の面子のために言いますが、彼は心の優しい、素晴らしい人です。
ただ、気が付かないんだろうねぇ。
イラッ
昼夜ベッドルームに籠って吐き気と戦っていると、キッチンの主人と娘の声が聞こえてきます。
※娘は3歳ではなく、もうすぐ13歳です(笑)
※主人は外国人なので、少し片言の日本語です
娘「ごちそうさまでした」 (ロートーンでお皿を下げる)
夫「○○ちゃん、ごはんたべた~?」(陽気)
娘「うん」(素っ気ない)
夫「そう~、たべたの~、おいしかった~?」(嬉しそう)
娘「おいしかった」(棒読み)
夫「そう、おいしかったの~、よかったね~」 「おいしいイチバンいいね~」(満面の笑み声)
私「号泣」
主人の、娘に向ける優しく甘い話し声を聞いて、ベッドで号泣しました。
この人は、こんなに愛情をもって私たちに接し、こんなに大切に一瞬一瞬を生きているのか、と。
そーだよそーだよ、ご飯食べれたの良かったよ。
美味しいの一番いいよ、最高だよ。
もうなんなら、それだけでいいんだよ、それだけでPerfectなんだよ。
単純に彼の機嫌が良かったのかもしれないし、私が弱ってメランコリックになっていたのかもしれない。
でもあの時、私の頭が止まっていなければ、彼の「今を生きている」姿、その美しさに気付かなかった。
これが「今この瞬間を」なんだと。
映画「Perfect Days」の平山さんのように、宇宙や前世や量子力学について知らなくても、一瞬、一場を味わい、幸せを紡ぐ日々。
人生は、それだけでPerfectなのだと思います。
この心と身体と魂を、全力で全うしながら生きる。
考えすぎると感じられないね、って話です。
何度も何度も、いろんな形、様々なアングルや数々のタイミングで、同じことを言われている気がします。
なら、もうちょっと家事手伝ってよ、そしたら感じる余裕もできるよ、と思わなくもないけど。
心身の発達が進んできたことで、取捨選択が適正なタイミングででき、優先順位をつけて行動しやすくなったので、以前より心の余白はできたかな。





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