「意図する」はおまじない

「意図する」は、自分のベクトル(方向性)を明確にすることだと思っています。
反射の統合ワークでも、受ける前に自分の変わりたい所、なりたい自分を明確に意識する方が、効果(変化)を感じやすい、出やすい、と言われています。
なぜでしょうか。
以下、ナラティブです。
自分の行きたい方向に道が出来ると思っています。
獣道なのか、歩きやすい道なのか。
「引き寄せの法則」などでも、自分のなりたい自分や望む未来をイメージすることが大切だと言われています。なんならより明確に、詳細に、現実的にイメージすることが大切だと言われています。
日々の私の「意図する」は、もっとシンプルで、純粋で真っ直ぐな白い道のようです。
勝手な私のイメージでは、幅1.5m位でしょうか。(多分幅は関係ないです)
もっと身近で、短期的な意図に近い感覚「今日の歯医者の治療がスムーズにいく」みたいな。
意図は自分軸でするものだから、「今日はスムーズに治療を受ける方向に、自分を向けておく」の方が、それらしいかな。
湾曲的な、力尽くで作った意図(道)ではなく、端的で兎に角、真っ直ぐ、以上。
感謝とか、予祝とかも特に事前にしていないです。
「意図する」➡ 以上!
それ以外に余計なことを考えない、「でも」、「だって」の余白を与えない。
委ねるというのともちょっと違う、シンプルで真っ直ぐにすることで、揺ぎ無さと決意に近いものが乗るイメージでしょうか。
でも、森の中で目的地がわからないまま闇雲に歩くのと、行きたい方向がはっきりしているのとは、自分の心の持ちようも、道を踏みしめる時の感覚も、一歩の歩幅も、見える景色ですら異なって見える気がします。
何が現れるかわからないおどろおどろしい道なのか、緑豊かな森林浴を楽しみながらのハイキングなのか。
未来を呼び寄せるための呪文ではなく、これから向かう方向に、自分の顔を両手で挟んで向ける感じ。
そう考えると、「意図する」って、おまじないにちょっと似ているかもしれません。
おまじないは子供っぽい印象かも知れませんが、そこに純粋さや真っ直ぐさが乗っているような気がします。
「痛いの痛いの飛んでいけ~」で痛みが和らぐように。
意図してみる、いいかもしれない。





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